最近つくづく思う好きはなんぞやと
異性の好きと友人の好きは違うのかとか
ゲームが好きなのと美しいものが好きなのは違うのかとか
好きで片付けられている正体がいまいち、ふにおちていない
自分の好きなものって果たして本当に好きと言い切れるのか
それすらも、危ぶまれる事実のような気がして
やっぱりのところ、人として美しくありたいとかそういう着地になるんだろうか
人として美しいかどうかってどうやって決めるんだっけ
純粋さって子供らしさ
子供のような心を持った大人
子供らしさを損ねた大人になることが怖いから子供らしさに甘えるのか
なんかよくわからない
好きの正体はどこにあるんだろうか
心の繋がりにあるのだろうか
仕組みの中に存在するのだろうか
仕組みって、大脳だから、大脳は生まれて間もないものだから?
人としてあるべきに突っ走る方が美しいんだろうか
なんかそれもまた残酷で
自分には出来なさそうだ
仕事にはまるのもそういう
やりたいことやるだけの勇気とか持ち合わせてないから
好きなことに好きとのめり込むこともできないし
好きなようにやることの難しさ
特に悲しさとかないけれど
だからこそ
好きに生きた方が良くてのめり込む必要は無いはず
面倒ごとすっ飛ばして自分に
結論はやりたいことやってりゃあ好きになっていくしその腹落ちをしないんだろう
抜ける、辞める、避けるというよう