帰属意識という概念がある。自分と本来何ら関係の無い事象の間に、関係性を作り出すことだ。帰属意識は、自分では無い何者かに対して恐怖・緊張・ストレス等の生存本能(種の保存則)の妨げになる外部要因を低減するのに役立つ。
例えば、家族という帰属意識がある。一般的に、血縁関係という遺伝的な関係性によって見出されている。
家族の帰属意識は血縁関係が一般論だが、必ずしもそうではないケースもある。養父養母、義父義母といった家族関係などがそうだろう。
こういった場合も、血縁関係同様の帰属意識を生み出すのだろうか。もし生み出すのだとしたら、血縁関係以外の何が帰属意識を生んでいるのだろうか。
また、血縁関係同様の帰属意識が確かに存在すると言えるだけの、仮説を検証するために用いるべき標本は何が良いだろうか。血縁関係のある/ない家族内における殺人事件の発生率だろうか。両者の平均寿命の比較だろうか。
抑も、前提として帰属意識という概念が種の保存則に基づいている、と定義して良かっただろうか。
話が逸れた
人生の選択肢の消去法について、表現しづらいので口語になりそう。
要は生きていく上でどのような選択を排除していくか、である。
例えば、子供の頃にプロ野球選手になりたかった青年が、なぜ大学に進学して野球サークルに入るのだろうか。といったケーススタディだ。
野球が好き≠プロ野球になれる、ではない訳だ。きっと努力する粘り強さとか、反射神経の鈍さとか、身体能力の低さとかが原因で"諦めた"んだろう。まあどうでもいいや
特に恵まれた日本国に生まれた人は、諦めた時、別の選択をする。野球サークルで楽しさだけを追求したり、恋愛に精を出したり、ギャンブルに時間を浪費したり。
まあ、そういう別の選択肢っていうのが、帰属意識と関わってくるんだろうけど。
そんなことを気持ちよさそうに書く気持ち悪いのは電通かどっかでいいわ
そうやって出来る出来ないを基軸に、人は時間の経過につれて選択を続ける。
人によっては成功体験が無さ過ぎて、完全に努力できなくなってしまう場合もあるのかもしれない。22歳だけど人生の終わりに切迫、危機感があるのであまり参考にならない。50歳から跳ねる人もいるかもしれないし。
まあそうやって、希望を失っていくのが辛いよね。というお話。一卵性双生児の話にもあった。
それでも僕は、タイピングや麻雀、サッカーや学問といったところである程度の実績は積んだから、魂に自信はあるのだ。それでも、と言ったのは、今まさに消去しすぎて縋る場所を見失っているからである。
就活の頃、ポテンシャル採用なので、自分ほど想像力高い人が1人もいなかったので、社長によっては俺がビッグになれると思って即内定というケースが多かった。どういうことかというと、今もそうだが、思考だけは先回りしてるので、社長の言わんとすること、深く考える能力が同じくらいなことがあるのだ。明らかな違いは、それを現実に投影できるだけの肉体的努力だ。圧倒的にこれが足りていなかった。
考えてばかりだったので、彼らの言わんとすること、その立場に立った時何をすべきか何となく選択肢のイメージが沸くのだが、実体験が無さ過ぎるのでそれ以上でもそれ以下でもない。
いざ社会人によいしょっとなってみると、その道10年やら続けている人に勝てる訳がないので、いきなり現実を見せつけられるのだ。
ああー、俺理想高すぎて現実に苦労しそうだな、案の定そうなった。
あれもできるはずなのに、これもできるはずなのに、それを繰り返した結果、体調があかん。自律神経が弱い
毎日耳鳴りがして、不定愁訴に悩まされ、寝ても副交感神経はリラックスしてくれない。視力はどんどん落ちていく。やる気も削がれていく。
結果的に、残された道が表現だった。ここから先はロジカルな言い訳かもしれない。
表現しないと生きていけない。寂しさに勝てない。現実に寂しさを助けてくれる人なんていない。表現することでなんとか生きていることを証明したい。枯渇したコミュニケーション。信念のような強い意識ではなく、弱い逃げによる残された唯一の選択肢。逃げて逃げて戦う場を失っていってガムシャラにならないといけなくなる、土俵はビジネスではなく芸術。
魂の自信はあるから、なんとか生きてる
ああ、わかった
目に見える能力を身につけるのが怖いんだ。周りに笑われたりするのが、恥ずかしいんだ。
だから日本で採用したんだ。実力を求められる場所を選ばなかったんだ。
どうすればいいんだ
なんで恥ずかしいのか、恥ずかしい努力とそうでない環境がある
タイピングには相応の努力を要した
コミュニケーションが不要だった
だから恥ずかしくなかった
自分と戦うほど強くなれた
営業やエンジニア、経営者となると
戦ってる人が側にいる
気になるからだめだ
あーそうか
どうしましょ。。