文字を書けば書くほど、どの文字も蛆虫に見えて仕方がない深夜25:17、月曜を迎えようとしている。
エネルギー量というものが、人にはあると思う。E=mc^2、エネルギーは質量と速度に比例する。
エネルギーとは、生きていく上での原動力だ。
E=0の時はつまり死んだ時だろう。
努力とは何なのか。つまるところエネルギー量の増大によるものだと思う。
努力しなくても生きていける。それは効率化されていく社会を見れば一目瞭然だ。
なので、努力とは実は不要の長物なはずだが。
感情を主としたエネルギーの増大が努力をうむ。
林はもう努力に疲れた。
努力すれば勉強はできるし運動もできる。仕事で成果も出せるし失敗にめげない気力もある。
林はもうそんなエネルギーを持たない。いや、持ちたくもない。
努力することにそんなにも意味があったのか、最早確信が持てない。
努力することによって得られるものに対して喜びを感じられない。
すべてを賭してでもこれをやらねばならないのだと言う人に憧れを抱く。田中角栄や神条紫杏のような。
林のピークはいつだったろうか。うん、きっと19から20だ。たかが病気で棒に降られた人生だった。
散々な目にあった。自分語りする自分に情けなさを感じつつも、周りの目を気にしていられないくらい、この文字たちを綴るのにも命を削っている。
俯瞰した時お遊びのように感じるこの言葉たちは、たぶん環境に左右される可哀想な言葉だ。
明日の朝見てみた時、この感情が、諦めが続かない感情だと再認識させられ、また、まだ努力を強いられるんだ。
何者にもなろうとしない意思を持たない限り。
いつまでもそうやって愚かなままで徐々に死んでいくんだ