誰も読まない

大学に向かう途中の林道の中で、銀杏が落ちて頭に当たる。

ああこれはきっと、今の自分に何かを訴えようとするんだ、と想う。

特別なことなど何も人の手で作らざるを得ない訳では無く、もっと壮観に自由さを手に入れたら分かる。誰かのための愛は紛れもない誰かのため。

はたまた食事の最中の自然発生的な幾何学模様を感動に値するものと見做すのも人。人って素晴らしい。

明日または今日死ぬ可能性もある中で、私達は安定を求める。恒常性と変革性の2極にゆり揺られながら

クソほどの価値もないこんなものを誰に読まれるわけでもないものを誰かに向け綴る、自分の為と言って死ぬ。

特別は特別だから特別なのだ。自分のちからではとうに及ばないところにその原理原則がある。全てを管理しようというのがそもそも困難で嫌な発想だ。

どうせ誰にも届かない、わかってるつもりならなんで書くのは、まだきっと誰かか知ることを諦めずにいたい自分自身の意志による、くだらんつまらん物語

 

特別でありたいなら努力しろ。それが嫌なら現実を受け入れろ。それすら駄目なら離れろ。

Ethics says

The changeable, past and others.

The unchangeable, present and you.

 

正しいと知覚できる事は正しく行い、無知は無知なりに努力する人と、

知識はあれど行わない誰か、善悪を比べるなら判決は100対0。

だが、現実には判決を行う間も無く蔑ろにされていくincidenceが山程ある。

だから、その場合、特に前者の側は"忘れる"ことが最適解になる。

 

他人に招かれた不幸は、忘れる他ない。

 

目の前の人が財布を落とし、拾い上げて「どうぞ」と言おうとしたとき、鬼の形相でこちらを睨まれ、ふんだくられた時のことはもう覚えていない。

自分の空虚さを埋めるために自分を利用した人のことも、結局は忘れた。

僕を見るたび「可哀想な人」と半径3m離れたところで嘆く女のことも、もうよく覚えてない。

この人なら結婚しても良いと思った人は、理性と体力が一致しないのでと分かり合うことを諦められ、忘れた。

いくらこちらが譲歩しようと相手が断るなら、忘れる。

 

 

誰かに無視されたのなら忘れるしかない。

苛立ちや不納得には蓋をしない。

 

 

この世はそんな人間で大多数を形成されてる。

思ってるんなら口にしなよ。ダサいよ。僕以外の人間全部だせえ。

 

まずはこの怒りを和らげる。

世は並べて事もなし。そう思う。

駄文の加筆へ充てて

好きにしたらいい、という文の加筆

 

好きにしたら良い、とは

責任を当たり前に取れる人のことである。

言うまでもない。

 

 

では責任とは?

別に難しく考えるものではない。

自分の行動に対して、どんな反応が返ってきても(もしくは何も起きなくても)、真摯にそれを受け止めることだと。

 

つまり

他人に右顧左眄するのではなく

自分のやりたいように生きればいいのだ

それを言ってる

 

 

そして、好きなことは楽しくあるために

だから、楽しくとは、を確信しておかないと。

 

楽しくあるために努力は必要か?

 

はい。

 

必要不可欠。

 

 

 

今の環境とはほぼ

これまでの努力量に繋がってくる

自分も確かに勉強したし、社交性もまあまあ。

なんやかんややらない限り

うまい蜜は吸えなくて。

 

 

あとは、勘違いしてほしくないのは

別に好きにしたらいいじゃん?

って言われたって

そのことについて楽観的過ぎるのはどうかと思うし

どんな反応にも私興味ないので

頑張れ。としか言えない。優しさは見えないぜ

 

 

君は今好きなことやってる?